地域医療構想と健康まちづくり
独立行政法人地域医療機能推進機構(JCHO:ジェイコー:Japan Community Healthcare Organization)が「安心の地域医療を支える」ことを理念に発足してから5年が経過した。全国で57の病院、26の介護老人保健施設等を運営する一大医療・福祉グループは、地域医療構想(※1)をはじめとする改革にどのように取組んでいるのか、同機構の尾身茂理事長と岩堀幸司氏に対談いただいた。
独立行政法人地域医療機能推進機構の取組み
発足の経緯
岩堀
まずは発足の経緯についてお聞かせください。
尾身
JCHOは、3つの病院運営団体を統合して発足しました。それまで社会保険病院を運営していた全国社会保険協会連合会、厚生年金病院を運営していた厚生年金事業振興団、そして船員保険病院を運営していた船員保険会です。それら3団体の運営主体が、1962年に厚生省(現厚生労働省)の外局として設置された旧社会保険庁でした。前年に国民皆保険が達成されましたが、病院の整備が遅れて医療を受けにくい状況があった。そこで同庁が全国に土地・建物を取得、病院を整備し、3団体に経営を委託しながら地域医療を行ったのです。
ところが2007年に「消えた年金問題」と言われる公的年金保険料の納付記録漏れ問題が発覚しました。病院経営とは関係が無かったのですが、国会での議論の末同庁は解体。JCHOの準備機関として発足したのが、独立行政法人年金・健康保険福祉施設整理機構(RFO)です。
岩堀
それまでとはまったく別の状況が生まれたのですね。
尾身
以前は民間病院の運営主体だったのが独立行政法人(※2)となり、委託ではなく土地や建物を含めて病院を経営することになりました。独立行政法人への移行は大きな変革を伴いました。民間病院とはそもそもガバナンス(※3)が違います。公的機関としての社会的な説明責任等、民間には無い規則があり、自由度が減ってしまった。歴史・文化も給与体系も異なります。統合は社会的実験でもあったのです。
RFO時代は、例えるとドックの中での造船作業でした。外海では荒波や風雨があり、嵐にも見舞われます。それらに耐える堅固な船を作りあげることが目標でした。こうした経緯を経て発足したのがJCHOです。
現状と課題
岩堀
自立後の経営ついてお聞かせください。
尾身
一般企業と同じく自主財源で経営を行わなければならなくなりました。大きな成果として、国からの運営費交付金が無いにもかかわらず、発足以来黒字経営を続けています。JCHO全体の経常収支率は毎年100パーセント以上を達成しています。2018年度は30億円の黒字でした。(図1)
岩堀
私事ですが、加齢とともに病院にかかる頻度が増えています。以前の職場が近いこともあり、JCHOグループの東京新宿メディカルセンターのお世話になっています。この10年ほどで外来受付から検査、診察、会計が情報化も含めて一変した印象です。受付と会計では待ち時間が短縮され、椅子の数が少なくなっています。診療の待ち時間は科によって長いことがありますが、丁寧に診ていただくからにはやむを得ないと思います。
以前と比べて検査も積極的に勧められます。患者としてはその方が常に容態を診ていただけるので有難いです。実は他の病院での検査で苦情を言ったことがあります。隣接する内科と泌尿器科で、重複して放射線画像診断を受けさせられたのです。東京新宿メディカルセンターは情報化で画像も共有され、そんなことは起こりえません。
尾身
JCHOはさらに病院のITをクラウドでつなぎ、電子カルテやレントゲン、CT等の画像診断検査、血液等の検体検査のデータを病院同士で共有しています。2020年には、広域レベルでは全国でも初めての取組みとして、10病院がつながる予定です。クラウドでのデータの保存は副次的には災害対策としても有効です。
岩堀
課題についてはいかがでしょうか?
尾身
第一は病院経営の二極化です。JCHO全体としての経常収支は黒字ですが、個々の病院を見ると差が出ています。苦戦を強いられている原因はさまざまで、解決は簡単ではありません。立地条件やマネジメント、医療サービスと地域ニーズのミスマッチ、或いは院長のリーダーシップの問題等があるかもしれません。慢性的に赤字の病院には、抜本的な解決策を講じなければならないでしょう。
第二はガバナンスです。JCHOは全体で2万7千人の職員を抱える組織で、さまざまな職種が連携しています。本部は統一した規則のもとにガバナンスを強化しなければなりませんが、医療機関では難しい。現場では患者が最優先されるためです。本部がお願いしても「そんなのは役所仕事ではないのか」となかなか伝わらないことがある。民間企業、例えば銀行であれば、本部の意向が瞬時に各支店に伝わります。
地域医療構想への取組み
岩堀
JCHOは設立趣旨の中で「地域医療を支える」ことを強調しています。地域に密着するからには、不採算部分を含めて引受けることになる。急性期医療や周産期医療等を従来どおり行いつつ地域包括ケアにも力を入れているのは、採算を考えてのことなのでしょうか?
尾身
何よりもニーズに応えることが最優先です。医療機関は地域医療が抱える課題やニーズの変化に対応し改革を進めばなりません。少子高齢社会のもと、医療は「病気を治す医療」から「暮らしを支える医療」に大きく変わりつつある。病院単体ではなく、地域全体でなければ支えきれません。
岩堀
今までの「病院完結型医療」から「地域完結型医療」へのシフトですね。地域の医療機関全体が一つの病院のような機能を持ちながら切れ目の無い医療を提供する仕組みであり、地域医療構想に沿っています。そこでは機能移転や統廃合が議論されていますが、JCHOの理事長としての考えをお聞かせください。
尾身
我々の基本理念はJCHOのためではなく、地域で求められる医療を提供することです。機能移転等についても、地域のためになるのであれば積極的に進めるべきだと思います。そのために、合理的で科学的根拠に基づく議論を関係者全員で行っています。結果、特定の病院が大きくなる場合もあるし、小さくなる場合もあるでしょう。短時間で決めるのではなく計画的に進めるので、どのような結果になろうとも職員に迷惑をかけることはありません。
地域の医療機関との連携では、紹介率、逆紹介率ともに年々増加しています。地域の開業医や他の病院との役割分担も進み、連携が強まっています。(図2)
我々はまた市町村の委託を受け、13の地域包括ケア支援センターを運営しています。訪問診療や訪問看護等で地域に積極的に出ていくことで、地域包括ケアのリーダーとしての役割を担うようになりました。
岩堀
そうした取組みに不可欠な人材育成についてはいかがでしょうか?
尾身
JCHOの医療従事者は優秀で、現場のすべての職種で高い能力を発揮しています。我々は一方で、地域完結型医療の推進に向け、さらなる育成制度も実施しています。その一つが特定行為(※4)に係る看護師の研修です。能力を身に着けた看護師の配置により、医師が身近にいない場合も必要な医療サービスを適切なタイミングで届けることが可能になりつつあります。
育成のもう一つが総合診療医です。医療の現場には縦で深く患者を診る医師と横に広く診る医師の両方が必要で、その方が医療の質が向上し、医療費も削減できます。総合医は患者の職場や家庭環境、心の問題まで丁寧に聞いて丁寧に診ます。専門医も聞きますが、どうしても専門分野に偏る傾向がある。また、最初から専門医にかかると、患者がよりよい医療を求めていろいろな医療機関を渡り歩く「ドクターショッピング」の割合が高まり、その結果ポリファーマシー(※5)が起こることも知られています。
だからと言って、専門医が必要ないということではありません。むしろ逆で、これからも臓器型専門医の需要は益々高くなり医療界はそれに答える必要があります。
岩堀
総合診療医の需要に地域差はあるのでしょうか?
尾身
特に地方の小規模病院が必要としています。アメリカの有名な研究で、「9割の病気が一般の病気である」ことが知られています。医師不足を補うためにも、広い臨床能力を備える総合診療医が最初に診断すべきなのです。私はJCHOの総合診療医希望の医師に「会社の社長になる人は、経理だけではなく営業もできて全体を見なければならない」と言っています。とりわけ中小病院は総合的な診療能力をもった医師が院長になるべきだと思います。
岩堀
総合診療医は家庭医としても期待されています。家庭医は欧米では40年以上も前から重視され、権威付けられていると聞きます。日本でも、静岡県森町に2011年に完成した森町家庭医療クリニックが家庭医を養成しています。「勉強し直したい」と、全国の年配の医師から応募があるそうです。
地域医療構想への提言
岩堀
JCHOの地域医療構想への総合的な取組みが理解できました。一般論としての意見と提言もお聞かせください。
尾身
日本の医療が優れているのは、医療従事者が真面目で努力するためです。世界一流といってよいでしょう。一方で、これは医療界に限ったことではありませんが、システム全体を改革することは苦手です。唯一、継続しているのは診療報酬の改定(※6)で、日本人ならではのきめ細かい作業を行っています。
これは今後も必要ですが、もっと根源的な改革をしなければなりません。例えば自治体病院(※7)の統廃合をどうするかです。全国にはおよそ930の自治体病院が存在しますが、多くが古い都市計画に基づいて立地されており、不必要に隣接する病院もあります。医療経済の視点では統廃合すべきですが、近隣の病院が無くなることに多くの住民は不安を覚える。首長や議員にとって民意は大切ですので、病院の存続は政治問題にもなります。
岩堀
私も地域で病院の施設整備をお手伝いする際によく経験します。「我が市(町)には立派な病院がなければならない」とする一方で、医師が来てくれる当てがない。急性期病院があちこちに出来る一方で、競争を強いられる。病院が医療機能を役割分担し、バランスよく配置することで地域全体が一つの病院となることが望ましいと考えますが、どうすればよいのでしょうか?
尾身
地域医療構想では、利害関係者ではない人も入れてオープンに議論すべきです。病院の合併や機能分担が議論になっていますが、各団体が自分たちの利益を優先するためになかなか結論が出ません。日本の医療、地域の医療を高い視点で捉えるべきだと、我々も含めて考えねばなりません。
岩堀
地域医療構想には、病院数や病床数だけでなく、医師の地域的偏在や診療科目毎の育成といった医療提供体制の改革が求められています。一方で医師には高度急性期志向が根強く、地域医療には消極的な傾向があると聞いています。
尾身
医療現場では7対1信仰(※8)が根強いのが現状です。急性期のニーズがある病院では当然実践しなければなりません。ただし、大学で急性期を学んだという理由で固執する医師が多いのも事実です。医療は急性期のためであり、回復期やリハビリは違うという教育を行ってきた面も否めません。難しい病気を診断・治療し学会で発表する価値観が根付いているのです。このことが医師の地域的偏在を加速させた一因でもあります。
地方では夜中の当直は一人なので、例えば整形外科医が小児や高齢者を診ることになる。「万が一のことがあったら申し訳ない」と、良心的な医師ほど重圧に耐えられなくなり、都会の病院に移ってしまいます。残るのは、総合診療の訓練を受けた医師ばかりという病院もあり、その結果、医師が都市部の大病院に集まってしまう。医師の地域的偏在を根本的に解決しなければ、地域医療は成り立ちません。
岩堀
都市部への偏重は、子弟の教育問題も大きく影響していると聞きます。解決にはどのような方策があるのでしょうか?
尾身
日本は私立の大学医学部にもかなり税金を投入しています。同時に保険診療なので国民が払う保険料で医療が成り立っている。医学部の6年間には多額な税金が使われることを考えれば、卒業後一定期間へき地での医療に携わることを義務付ける制度を設けることが有効ではないでしょうか。医療資源は限られています。職業選択の自由を尊重しつつ、地域的偏在を解決するための議論を進めねばなりません。医療制度自体のラディカルな変更が求められているのです。
診療科目による医師数の増減については、学会の医師に任せるのではなく、厚生行政も入れて議論すべきだと思います。厚生行政は日本の医療の責任者にもかかわらず積極的に関与出来ずにきました。医療界は皆が納得する議論が出来る組織でなければなりません。すぐに変えると混乱するので、10~20年後を目安に変えていくべきでしょう。
※1 地域医療構想
2014年施行の「医療介護総合確保推進法」により都道府県が策定することを義務化した。目的は限られた医療資源を効率的に活用し、切れ目のない医療・介護サービスの体制を築くこと。在宅医療・介護の推進を前提に、診療記録や人口推計等で将来の医療需要を推計し、区域ごとの必要病床数を定め、実現に向けた方策を決める。政府は2025年までに病床を全国で16万~20万床(2013年比)削減できるとの目標を公表している。
※2 独立行政法人
国から独立して行政の仕事をする法人で、国民生活や社会経済の安定のために必要ではあるが、民間企業だけに任せておくと実施されない可能性が高い事業を行う機関。
※3 ガバナンス
組織をまとめあげるために方針やルールなどを決めて、それらを組織内にあまねく行き渡らせて実行させること。
※4 特定行為
診療の補助で、高度かつ専門的な知識及び技能が必要とされる行為のこと。2018年現在、心静脈カテーテルの抜去等38項目が定められている。
※5 ポリファーマシー
「Poly(多くの)と「Pharmacy(調剤)の造語。薬剤が多いことにより、薬物有害事象につながる状態や飲み間違い、残薬の発生につながる問題のこと。
※6 診療報酬の改定
医療技術の適正な評価や医療機関のコスト等を適切に反映させるために点数を変えて医療の在り方を調整する仕組み。
※7 自治体病院
主に都道府県と市町村が運営する病院。全国の病院数は8442。(総務省:2016年)
※8 7対1信仰
7人の患者に1人の看護師の意味。手厚い看護が必要なくらい高度な医療を施すこと。急性期信仰ともいう。
●プロフィール
尾身 茂(おみ しげる)
独立行政法人地域医療機能推進機構(JCHO)理事長、厚生労働省顧問、名誉世界保健機関(WHO)西太平洋地域事務局長、自治医科大学名誉教授、NPO法人「全世代」代表理事
1949年 東京都生れ
1978年 自治医科大学卒業(一期生)
1990~98年 WHO西太平洋地域事務局にて感染症対策部長等を歴任
1999年 第5代WHO西太平洋地域、地域事務局長
2009年 自治医科大学地域医療学センター教授就任
2011年 独立行政法人国立国際医療研究センター 理事
2012年 独立行政法人年金・健康保険福祉施設整理機構理事長
2014年 独立行政法人地域医療機能推進機構理事長に就任
受賞等
2000年 ベトナム名誉国民賞
2001年 第37回小島三郎記念文化賞
2002年 香港地域医療学会名誉特別専門医賞
2009年 小児麻痺根絶特別貢献賞ほか
著書等
「WHOをゆく―感染症との闘いを越えて―」(医学書院)
「SARS: How a global epidemic was stopped」(2006年、WHO)
(上記翻訳:SARS-いかに世界的流行を止められたか 財団法人結核予防会)
医の未来「医療の輪が世界を救う」(2011年、岩波新書、P75-92)等
岩堀 幸司(いわほり こうじ)
建築家( 一級建築士)、病院建築・経営アドバイザー
1947年 神奈川県生まれ
1973年 千葉大学大学院修士課程終了後
日建設計入社( 設計部長、理事、部門副代表など歴任)
2004 年 東京医科歯科大学大学院非常勤講師
2008 年 NPO 医療施設近代化センター理事
2009 年 NPO 医療施設近代化センタ一常務理事
2018 年 認定NPO 法人健康都市活動支援機構理事
著書等
「生き残る病院建築のブランディング戦略」(2018年、近代建築社)等