本稿では、佐藤利雄氏(地方独立行政法人玉野医療センター理事長)をお迎えし、岩堀幸司氏(健康都市活動支援機構理事)が対談した。公立・公的病院の統合再編の動向をはじめ、玉野医療センターの経営戦略と施設整備、さらにCM導入の経緯や役割についてお話しいただいた。
玉野医療センターの統合と再編に向けた病院づくり
対談 佐藤利雄氏(玉野医療センター理事長)× 岩堀幸司氏(健康都市活動支援機構理事)
公立・公的病院の統合再編の状況
岩堀
佐藤理事長は2014~2019年まで独立行政法人岡山医療センターの院長として、高度急性期医療の陣頭指揮を執っておられました。2016年の新公立病院改革ガイドラインに続いて地域医療構想や地域包括ケアシステムが具体化してきた激動の時期です。佐藤理事長は、機能分化や地域連携でどのような方針で病院を運営され、どのような実績を残されたのでしょうか。
佐藤
当時の岡山医療センターは、地域医療構想における高度急性期と急性期の医療機関に該当していました。その領域に特化することを意識し、地域から重症患者を紹介いただき、短期間に集中して治療し地域にお返しする方針で運営していました。
医師不足の問題では、地域医療機関に積極的に医師を派遣し、地域医療における機能分化の橋渡しの一助となるようにしていました。機能分化の明確化を求められていたので、双方に利点がある運営として考えていました。
地域包括ケアにも取組みました。同センターは高度急性期病院でありながら岡山市郊外の御津医師会に属していたのですが、そこでは地元医師会の診療所から病院に患者を紹介する際に病状に応じた入院先を探すことに苦労されていました。そこで地元医師会長と私が発起人になり、我々の病院と急性期、回復期、慢性期の計10病院と診療所をつなぐハブ電話を我々の病院に置き、電話1本で病状に合った病院に入院調整できるようにしたのです。このシステムは退院時に回復期等の地元の病院に戻り、さらに在宅に復帰してかかりつけ医でフォローする方式にもつながりました。同医師会は、機能分化を前提にした地域包括ケア体制づくりのモデルとして岡山県から表彰されています。
岩堀
いろいろな課題の中に「団塊の世代」約800万人が75歳以上(後期高齢者)となる「2025年問題」があります。私は1947年生まれですのでまさに当事者です。医療・介護の需要が増える中で、病院を統合しベッド数を縮小する方針が示されましたが、一方でコロナ禍により方針を疑問視する声もあります。ベッドが不足する事態となったからです。どうお考えでしょうか?
佐藤
需要と供給のバランスで、人口が減少すると医療施設が過剰になります。国は人口や疾病状況等に合わせて急性期や慢性期の病院数や病床数を調整すべく水面下で動いています。公立・公的病院が新型コロナ対策の診療を頑張った結果、統合縮小のトーンは一時下がりましたが、国の方針に変わりはなく、感染症等の対応を含めて計画を今後も進めていくものと思われます。ダウンサイズや再編・統合は病院を残すための手段と言えるでしょう。
玉野市のコロナ病棟は玉野医療センターのみでしたが、保健所が県内の病院に配分したことで医療崩壊を避けることができました。コロナの特性で、去年の今頃は死亡率が高い株が流行っていましたが、その後は患者が増えても重症者はさほど増えていません。症状に応じて入院やホテル・自宅待機が可能なので、現在は何とかなっています。
岩堀
現在、岡山県を中心に公立・公的病院の統合再編はどうなっているのでしょうか?
佐藤
厚労省は岡山県内で統合再編の議論を必要とする13病院を挙げていますが、現時点で公立・公的病院の統合は玉野医療センターの1事例のみです。11病院は急性期病床を一部回復期病床に変更した上でのダウンサイズを単独で実施しており、残り1病院は未定の状況です。民間では、中規模病院2病院での連携・ダウンサイズの事例が一つあるだけです。
岡山県の医療界は比較的風通しがよく、まとまっており、地域医療構想の趣旨をよく理解しています。しかし、行政は「公立病院の統合で地域から病院が無くなるのは困る」との発想から抜けきれずにいます。また、公的病院は企業体なので身売りが難しく、よほどの要因がないと統合までには至らないと思われます。一方で、県内の民間病院では経営委託も含めた統合が進み始めています。近隣の兵庫県や広島県では、県などの行政が主導して統合計画を進めているようです。
玉野医療センターの発足と経営戦略
岩堀
岡山医療センターの院長時代、当時の玉野市民病院の状況についてはどのような認識だったのでしょうか?
佐藤
どの自治体病院も経営に苦しむ中で、玉野市民病院の不振は特に知られていました。「勤めている先生方は大変だろうな」という認識でした。実際、玉野市民病院は2014年当時の決算で累積赤字38億円を計上しており、悪いときには年間3~4億円の赤字を出しています。そうした中、2018年に徳島市の医療法人平成博愛会と業務提携を結び経営改善に取組みました。同会の指導の下、それまではすべて一般病棟だったのを回復期病棟や療養病棟などに仕分けした結果、入院患者の稼働率が向上し、赤字幅を大幅に圧縮することができました。
岩堀
そうした状況の下、どのような経緯で玉野医療センターの理事長に就任されたのでしょうか?
佐藤
健康づくり総合センターに、岡山大学の医局から「玉野医療センターの理事長に」との打診があったのです。突然の依頼に戸惑ったのですが、「地域医療を支えねばならない」との想いで引き受けました。
ただし、病院単独で経営を立て直すことは極めて困難です。玉野医療センターの場合、地方独立行政法人への移行や近隣医療機関との合併が計画されていたので、「それならば何とかなるのではないか」と思ったのです。地方独立行政法人化は岡山医療センターの院長時代に経験しており、厳しい経営改善のもと赤字を黒字化するなどメリットを十分認識していました。医療従事者や職員は元々優秀です。それまではのんびりしていたとしても、黒字化に向けた経営方針が決まると一丸となって取組みます。
岩堀
かなりドラスティックな変革をされたはずです。それを玉野医療センターで実践しようと?
佐藤
そうです。幸い「地域の多機能病院」のキーワードで病床機能の仕分けが進んでいましたので、延長線で臨むことができました。一方で前年に玉野三井病院との統合が決まったばかりで、組織体制やマネジメント、施設整備は手付かずの状態でした。そこから医療従事者や職員と共に走りながら統合に奔走したのです。
岩堀
地方独立行政法人となれば、自治体直営に比べ経営の自由度が格段に高まり、人事、予算で自立的な運営が可能となります。黒字化に向けた玉野医療センターの経営戦略についてお聞かせください。
佐藤
法人の運営方針は置かれている地域や個々の病院の状況に応じて決まります。玉野市の場合は、隣接する岡山市の大学病院や大きな公的病院に30分ほどでアクセスできる立地条件にあります。そのため高度の診療を要する患者はそちらで診てもらい、地元では地域多機能病院の役割に徹する方針です。二次救急医療をはじめとした一般診療、地域包括ケア診療、回復期リハビリ診療、障害者診療、療養などをすでに提供しています。
高齢化が進む中で市内の病床数が四分の三に減少し、診療所においても後継者不足に陥っています。そうした中で在宅医療のニーズが高いことから、三井病院では在宅医療や訪問診療を積極的に行っています。一方の玉野市民病院では、訪問リハビリ、訪問看護に実績があります。統合により規模を適正にして医療従事者のマンパワーを充実させ、診療効率、稼働率を上げることで経営改善を進めます。
地方独立行政法人として公的役割を担い続けますので、予防医療に関しては、健診・ドック部門を広げて充実を図ります。自立運営するための戦略としては、病床をダウンサイズする一方で地域から求められる医療(二次救急、一般医療、包括ケア診療、回復期リハビリ、障害者診療、療養診療)を提供し、病床稼働率を高く維持しながら採算をとります。在宅医療も統合後はさらに拡大することで、経営に貢献させる予定です。
他の医療施設との主な差別化には、リハビリがあります。新病院の3階の病棟を回復期リハビリ病棟にする予定で、広いリハビリ室を備えてスタッフをフル回転することで、充実したリハビリテーションを提供します。地域で必要とされている多機能の診療と在宅医療を高い効率で運用すれば、将来に向けても持続可能な医療を提供できる病院になると考えています。
岩堀
医療政策の方針に沿って経営改善を行った結果、地域における医療ニーズへの対応や収益性の確保、医療サービスの質の向上に大きく踏み出したのですね。現状維持に汲々とする病院が多い中で、次々と改革を打ち出しています。トップのリーダーシップが重要だと改めて認識しました。
施設整備での課題
岩堀
地域医療構想や地域包括ケアシステムといった大きな流れの中で経営戦略を見直す際、多くの病院で必要となるのが、基本計画に基づく施設の再整備です。玉野医療センターはどのような判断で再整備に至ったのでしょうか?
佐藤
両病院とも老朽化していることが第一の要因です。玉野三井病院が1937年、玉野市民病院が1973年に建設された建物です。第二は、医師をはじめとする医療供給体制の充実です。持続可能な地域医療の構築に向けて不可欠と判断しました。
岩堀
佐藤理事長は建築にも造詣が深いと伺っています。
佐藤
若い頃に建築家を目指したことがあります。医師になった後では、国立岡山病院が2001年に岡山市郊外に新築移転した際、救急外来の設計に関与しました。また、岡山医療センターが2011年に別棟を建設した際、統括診療部長として全体の設計にも関与しています。
岩堀
玉野医療センターの設計はどのように進んだのでしょうか?
佐藤
2020年、私が就任する前年に新病院の基本計画が公表されました。方針は「地域医療の中核病院」「断らない医療の実現」「在宅医療の充実」「予防医療の提供」「災害対応可能な病院」「安定的な経営の確保」の6つです。急性期地域多機能病院として公的な医療を含めた地域の受け皿となり、持続可能な診療提供できる施設整備が基本です。病床数は190床で、一般・地域包括ケア病棟50床、回復期リハビリテーション病棟50床、障害者病棟40床、療養病棟50床の4病棟構成としています。中核病院として2次救急の受け入れに十分な諸室や設備を確保することをはじめ、訪問診療のための事務空間の拡張や予防医療のための健診センターの設置などが盛り込まれています。整備費用については、2017年の基本構想において用地整備2.2億、設計監理5.8億、建設工事57億、機器整備15.2億の合計80.2億円が公表されています。
岩堀
地方独立行政法人となっての新病院建設ですので、独立採算、返済可能な経営計画に基づく厳しい視点の建設準備が求められています。そのためには、何よりも初期投資が重要と考えます。基本計画どおりに基本設計が進み、予算内に収まったのでしょうか?
佐藤
2020年に行った設計プロポーザルでは魅力的な病院建設の提案をいただきました。統合する病院建築の姿が具現化され、より具体的な準備体制への構築につながりました。
課題は予算内に収める難しさです。建設工事で57億円未満を想定していたのですが、設計会社が基本設計終了前に自ら積算した概算が約76億円まで膨らんでしまったのです。
岩堀
大幅な予算超過ですね。主な原因は何だったのでしょうか?
佐藤
設計者側が病院関係者ヒアリングでの要望を、厳しく取捨選択することなく取り入れたことと、発注者側が解決策の知恵を持っていないことでした。
経営戦略を踏まえた施設整備計画は玉野市により策定されていたのですが、新病院の建設を経験した職員はおらず、計画を実行できるノウハウを知るものも皆無の状態でした。机上の計画は立てたものの、設計と施工を強力に推進する専門家が不在だったのです。
設計図から機能はある程度理解できるものの、具体的にどのような建物や部屋になるのかはわかりません。使い勝手はどうなのか、工法の違いによる面積確保やコストにつながる仕組みといった知識がないため、設計会社に誘導される形で設計が進んでしまいました。
設計プロポーザルで選定された設計内容からスタートしたものの、現場ヒアリングを通して約1.3割増しの建設金額を提示され、当方からの予算額に収める要求に対しては原案をかなりカットした受け入れ難い設計変更を再提示されました。
工法や材料をどう変えれば質を落とさずコストを削減できるのか、素人にはさっぱりわかりません。「建設の知識が希薄な我々が何故このような内容を受け入れなければならないのか」という不満を持ち、対応に苦慮しました。設計会社がよい建物を作ろうとの発想で話を進める姿勢は理解できるものの、我々の要望への理解が少なく、融通をきかせてもらう術もありませんでした。
岩堀
設計者は大きな資金を預かる立場にあります。使い道については、発注者に十分納得いただいた上で決めなければなりません。本件に限らず、その点が曖昧になっているのが気にかかります。
CMの導入
岩堀
そうした事情もあり、CMの導入に踏み切られたのですね。
佐藤
いくつかの候補をあたる中で、実績と認定NPO法人としての信頼度から健康都市活動支援機構に依頼することになりました。
岩堀
今回は基本設計終了時での圧縮的なコストコントロールと施工者の選定が主な要望と認識しています。現在までの評価はいかがでしょうか?
佐藤
我々の要望をよく理解し、第三者の観点で根幹となる機能を維持する修正案を提示しながら設計会社と掛け合っていただきました。結果、建設工事費を76億円から57億円まで圧縮することができました。さらにECI方式での施工会社選定プロポーザルから選定後の実施設計に至るまで、あらゆる場面で支援いただいています。発注者にとって、救世主のような存在です。
昨今の医療界の情勢から、公的医療機関においても予算的・機能的に余裕のある計画を立てることはできなくなりました。発注者の意向をよく理解し、中立性を保ちつつ、設計から施工の各段階においてマネジメントを遂行するCMの役割は飛躍的に大きくなっていくと考えます。
岩堀
無駄を無くすことが何よりも重要です。お金もそうですが、全体工期を厳守する上で設計や施工のプロセスにも当てはまります。
佐藤
ところで、今回のようなECI方式はいつ頃から始まったのでしょうか?
岩堀
正式には、「公共工事の品質確保の促進に関する法律の一部を改正する法律」が施行された2014年です。その中で規定された「技術提案・交渉方式」に、DB方式とともにECI方式が新たに盛り込まれました。その後、病院をはじめとする公共建築に広がった経緯があります。
2022年に総務省が策定した「持続可能な地域医療提供体制を確保するための公立病院経営強化ガイドライン」の「施設・整備の最適化」の項目では、CM方式をはじめECI方式やDB方式といった民間の専門的な知見を取り入れることを推奨しています。
一方で私は設計者として、かなり以前から同様の方式を取り入れていました。きっかけは会計士事務所からの指摘です。「設計者と施工者の作業が重なっているように思えるが、無駄ではないか」と。目から鱗が落ちる思いでした。試行錯誤を重ね、重複する部分については、施工者を巻き込みながら作業を効率化していったのですが、当時は奇異に思われたようです。
佐藤
CMについてはいかがでしょうか?
岩堀
アメリカで考案された建築生産・管理システムで、発祥は1940年代とされています。日本では、1970年代初頭にアメリカにおいてCMが本格的に展開されるようになった時期に遡ります。
佐藤
業務の領域はとても広いですね。
岩堀
少々広過ぎると思います。だからこそ、プロジェクトの遂行にあたっては、目的を明確にする必要があるのです。今回はコストコントロールと施工者の選定が主なものでした。
施工者選定では、競争原理を発揮させるために複数企業の参加が不可欠です。1社だけだと圧縮的なコストコントロールを効かせることが難しくなります。その点、貴センターのプロポーザルに複数社が応募したのは、市民病院と民間病院の統合の意義に魅力を覚えたためと思われます。
佐藤
激動の世界情勢の中、建築資材や労務費の高騰が勃発する等、予期せぬ課題を織り込みながら施工が進んでいくと思われます。竣工、開院にいたるまでCMrとして積極的なご協力を続けていただければと存じます。
岩堀
市民の皆様のご期待に沿うべく、関係者一同全力投球させていただきます。本日はありがとうございました。
岩堀 幸司(いわほりこうじ)氏
一級建築士、病院建築・経営アドバイザー、元東京医科大学大学院非常勤講師
1973年 千葉大学大学院修士課程終了
日建設計入社。設計部長、理事、部門副 代表など歴任
2007年 日建設計退社
2008年 特定非営利活動法人医療施設近代化センター理事
2009年 特定非営利活動法人医療施設近代化センタ一常務理事
2017年 認定NPO法人健康都市活動支援機構理事
佐藤 利雄(さとうとしお)氏
地方独立行政法人玉野医療センター理事長
医学博士、独立行政法人国立病院機構岡山医療
センター前院長(名誉院長)、公益財団法人岡山県
健康づくり財団健康づくり総合センター前センター長
1977年 岡山大学医学部卒業
1981年 米国クレイトン大学留学
1984年 呉共済病院呼吸器科医長
1993年 国立岡山病院呼吸器科医長
2008年 岡山大学医学部臨床教授
2010年 国立病院機構岡山医療センター 統括診療部長
2012年 国立病院機構岡山医療センター副院長
2014年 国立病院機構岡山医療センター院長
2019年 岡山県健康づくり財団健康づくり総合センター長
2021年 地方独立行政法人玉野医療センター理事長